こだわり商品

本物のみりんはそのままで旨い

三河を訪ねて

ふだん何気なく使っている“みりん”、どのようなお料理に使いますか。どのようにしてつくられているのかご存知ですか。
久世福商店では全国でも有名な愛知県三河のみりんを仕入れています。

みりんの生産量で全国第2位の愛知県三河地方、愛知県碧南市には昔からの伝統製法を受け継いで、今も丹念にみりんを造り続けている醸造元が数件あります。名古屋駅から1時間ほど、東海道本線と名鉄三河線を乗り継ぎ降り立ったのは「碧南駅」、昭和の雰囲気漂う小さな終着駅です。
駅から醸造元に徒歩で向かう途中には焼酎、日本酒、みりんの小さな工場がたくさんあり、私たちは発酵、醸造の芳醇な香りを楽しみながら、久世福商店「三河仕込み純米本みりん」の醸造元を訪ねました。


杉浦味淋の三河みりん

訪れたのは杉浦味淋株式会社。私たちが到着した時にはちょうどもち米が蒸しあがったばかりで、もち米のふっくらした良い香りが出迎えてくれました。今年初めての仕込みということで、年に一度の厳かな日に立ち会うことができた私たちは身の引き締まる思いで、ひとつひとつの製造工程を見学させてもらいました。


炊きあがったもち米を神棚にお供えし、今年初めての仕込みがはじまります。

みりんの製造過程

三河仕込み純米本みりんの原料は、地元三河産のもち米「ひよくもち」と、「米麹」、「粕取り焼酎」を使います。

1.蒸米


前日の内に洗米、浸漬(しんせき)させておいたもち米を蒸します。蒸しあがったばかりのもち米は、見た目は粒が立って固そうでしたが、口に含むともち米の豊かな香りと優しい口当たりに思わず驚きの一言・・・。「ん〜おいしい・・・」


2.もろみ


蒸しあがったもち米をベルトコンベヤーに乗せて冷風にあてながら冷まします。(※もち米をなぜ冷ますのかというと熱すぎると、一緒に合わせる麹菌が死んでしまうからです。)ベルトコンベヤーの行きついた先で米焼酎と米麹を混ぜ合わせ、もろみをつくります。



3.仕込


もろみを仕込みタンクで寝かせます。この間に麹菌がもち米のでんぷん質をえさにして糖化させ、みりんの甘味をつくり出します。
通常は約3ヶ月寝かせるのですが、こちらでは夏を越えて約6ヶ月寝かせています。長く寝かせることで従来よりも濃厚で味わいに深みが出るため5年程前からこの方法をとっているそうです。

以上、「本仕込み」という工程を見ることができました。
この後の工程は半年後になってしまうので、残念ながらお話だけお伺いしました。


4.しぼり

半年が経ってすっかり熟成したもろみから、液体だけ搾り出しさらにタンクで1年、もしくは3年熟成させます。

5.充填して完成

静かな時を経て熟成の眠りから覚めたみりんは、米焼酎の芳醇な香りとお米の優しい甘みと豊かな旨みが凝縮された濃厚な味わいとなっています。
みりんは調味料だとばかり思っていましたが、良質な甘いお酒としてそのまま口にすることができます。



利きみりん…みりんだけ口にするのは人生初。
(少しいただいてすっかりほろ酔い気分になってしまいました。)


(こちらはみりんで香りづけしたケーキ、芳醇な香りと複雑な味わいは洋酒にも負けません)

醸造県愛知 三河、みりんの歴史

愛知県の産業と言えば工業のイメージが強いですが、実は米や小麦、大豆などの穀類や農産物が豊富に穫れることから、食品加工業も盛んです。木曽川、矢作川、豊川の3大水系により水資源も豊富にあるため、昔から白醤油、酢、八丁味噌、みりんなどの醸造業が盛んでした。


(遠くに工場の煙突、目の前の広い畑で農作業をする光景。そして山々がなくいつもより空が大きく感じる。長野県比)

歴史をさかのぼること、240年前、三河一帯は米どころとして酒造りが盛んでした。当時200軒程あったといわれる酒蔵からは、たくさんの酒粕が出て余ってしまうため、木桶に入れて踏み込んで蓄積させ、放っておいたところ、酢が誕生したそうです。
さらに新鮮な酒粕から搾りとったアルコールを蒸留した「粕取り焼酎」、「米麹」、「もち米」、この3つを混ぜて三河のみりんが誕生したと言われています。
酒蔵と酒粕があったからこそ、この地域でお酢とみりんづくりが発展し、戦後は30軒ほどのみりんの蔵元で、栄えていました。ところが、近年になって酒蔵が減少したため原料のひとつでもある粕取り焼酎の確保が困難になりました。多くの蔵元が廃業し、現在では5軒しか残っていないそうです。

3代目の原点回帰


久世福の「三河仕込み純米本みりん」の醸造元でもある「杉浦味淋株式会社」。創業は大正13年。現3代目社長のおじい様が創業されたそうですが早くに亡くなられたため、その奥様が後を継いだそうです。しかし女手ひとつでみりんを仕込むことは難しく、近隣のみりんメーカーのボトリングなどを下請けして何とか経営を続けました。
奥様の後を継いだ現社長のお父様は、製造も含めて大手へ流通させる経営方針に転向したものの価格は売り先に言われるがまま、取引を続ければ続ける程価格を下げられ、商売が成り立たない状態のまま16年前に現3代目社長に代替わりしました。
何も知らずに就任した社長は業績の悪い現実を知って愕然としたそうですが、まずは大手への流通をやめ、業務用の取引を増やしました。それでも経営が追いつかず、いよいよ看板を下ろそうと考えた時、物置きからおじい様が使っていた創業当時のレシピが出てきたそうです。
「虫に食われたボロボロのレシピ、普通だったらごみ箱に捨ててしまっていたかもしれなかったけど、そんな時だったからかもしれない。感じるものがあって、すっと目に入った。おじいさんの使っていた昔ながらのレシピで同じように作ったら、おじいさんの創業の時の気持ちが分かるかもしれない。」と覚悟してこのレシピの復刻にすべてを賭けました。この原点回帰の英断によって、「杉浦味淋株式会社」の今日があります。

久世福商店と三河みりんの出会い


(久世福商店 幕張店)

2014年3月、「杉浦味淋株式会社」の3代目社長は千葉県幕張で開催された食品展示会で愛知県ブースに出店。前日の設営を終えて、近くのショッピングモールで食事をし、エスカレーターで降りてきたところ「久世福商店」の看板が目に留まり、吸い込まれるように店内へ・・、日本各地でこだわってつくられている醤油、味噌、だしなど、本物の和食材が並んでいるのを見て感激しました。「こういうところに自分の商品を置きたい・・・。」ですが、既によく知っている三河みりんの別のメーカーの商品が並んでいるのを目にし肩を落として店を後にしました。

ところが、展示会3日目に運命の出会いが!!
愛知県のブースを訪れた1人の男性。名刺交換をしてそれが「久世福商店」の最高責任者だと分かった時、涙が出そうだったと3代目社長が目をキラキラさせながら当時を振り返っておられました。
当初3代目社長は、自分のつくったみりんを久世福ブランドとして商品化するという提案をされた時、昔のディスカウントのイメージがあり躊躇されたそうです。けれども、全国の良いものをお互いに育てるという考えに納得し、久世福ブランドで商品化することを決めてくださいました。

こうして久世福商店の「三河仕込み純米本みりん」が誕生しました。


(杉浦社長とそのご家族)

次の取材先、角谷文治郎商店へ。続きはこちら>>